会報誌の号数(番号)を選択するとその会報誌のPDFファイルをご覧になれます。 | |||||||
会報誌の一覧(第87号〜第200号) | |||||||
別冊・『隋書』たい國伝の竹島(総計31頁) | |||||||
******************************************* | |||||||
会報誌号数 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 | |||||||
会報誌号数 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 | |||||||
会報誌号数 81 82 83 84 85 86 | |||||||
******************************************* | |||||||
選択 号 |
発行 | 分類 | 87号〜100号 | 回 | 頁 | 著 者 | 資料選択 備 考 |
87 |
19年11月 |
挨拶・ 弔文 |
弔文 |
1 |
古田武彦 |
||
林俊彦さんを悼む |
1 |
代表 水野孝夫 |
古田史学の会 |
||||
会長に就任して |
2 |
会長 竹内 強 |
|||||
論 文 |
失われた一大国 |
3 |
林 俊彦 |
||||
続・失われた一大国 |
4 |
林 俊彦 |
|||||
一大国はなかった |
5 |
林 俊彦 |
|||||
88 |
19年12月 |
論 文 |
一大国異説 |
1 |
林 俊彦 |
||
磐井の乱はなかった? −林俊彦氏のご冥福を祈って− |
1 |
3 |
石田敬一 |
||||
89 |
20年 1月 |
挨 拶 |
新年のご挨拶 |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 文 |
磐井の乱はなかった? −林俊彦氏のご冥福を祈って− |
2 |
2 |
石田敬一 |
|||
草薙剣異説 |
1 |
5 |
林 俊彦 |
||||
90 |
20年 2月 |
論 文 |
「磐井の乱はなかった」に対する問題提議等についての私の考え |
1 |
1 |
石田敬一 |
|
草薙剣異説 |
2 |
4 |
林 俊彦 |
||||
ひろば |
五瀬命の「五瀬」の読み方 |
6 |
林 伸禧 |
||||
91 |
20年 3月 |
論 文 |
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
1 |
1 |
加藤勝美 |
|
「磐井の乱はなかった」に対する問題提議等についての私の考え |
2 |
4 |
石田敬一 |
||||
草薙剣異説 |
3 |
10 |
林 俊彦 |
||||
92 |
20年 4月 |
その他 |
古代出雲旅行のお誘い |
1 |
田中正一 |
||
論 文 |
「磐井の乱はなかった」に対する問題提議等についての私の考え |
3 |
4 |
石田敬一 |
|||
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
2 |
8 |
加藤勝美 |
||||
草薙剣異説 《番外編1》『和名抄』のクサ |
4 |
12 |
林 俊彦 |
||||
ひろば |
『二中歴』に関する文献の留意点 |
14 |
林 伸禧 |
||||
93 |
20年 5月 |
論 文 |
「磐井の乱はなかった」に対する問題提議等についての私の考え |
完 |
1 |
石田敬一 |
|
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
3 |
9 |
加藤勝美 |
||||
草薙剣異説 《番外編2》草薙剣の「祟(たたり)」と「崇(あがめ)」 |
5 |
14 |
林 俊彦 |
||||
94 |
20年 6月 |
訪問記 |
出雲(島根県)探訪記 |
1 |
加藤勝美 |
||
論 文 |
長屋親王について |
5 |
石田敬一 |
||||
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
4 |
7 |
加藤勝美 |
||||
ひろば |
公立図書館・大学付属図書館の利用 |
13 |
林 伸禧 |
||||
95 |
20年 7月 |
論 文 |
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
5 |
1 |
加藤勝美 |
|
ひろば |
日本随筆大成〈第3期〉第13巻『塩尻』(巻之二十四 皇年代記抜抄)について |
5 |
林 伸禧 |
||||
書 評 |
「神武が来た道」(最終回)伊東義彰氏著を読んで『なかった−真実の歴史学−』(第5号)収録 |
11 |
竹内 強 |
||||
96 |
20年 8月 |
報 告 |
愛知県豊橋市馬越長火塚古墳について |
1 |
石田敬一 |
||
論 文 |
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
6 |
6 |
加藤勝美 |
|||
ひろば |
ヤマトタケルのクマソ退治 |
10 |
林 俊彦 |
||||
97 |
20年 9月 |
論 文 |
二倍年暦による天皇の年代再検討に関連して |
1 |
石田敬一 |
||
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
7 |
9 |
加藤勝美 |
||||
『隋書』たい国伝のたい王について |
14 |
林 伸禧 |
|||||
98 |
20年10月 正誤 |
論 文 |
多利思北孤の読み方について |
1 |
石田敬一 |
||
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
8 |
3 |
加藤勝美 |
||||
ひろば |
宿儺(すくな)かぼちゃと笏(しやく) |
9 |
竹内 強 |
||||
99 |
20年11月 |
論 文 |
ワカタケル考 |
1 |
石田敬一 |
||
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
9 |
5 |
加藤勝美 |
||||
ひろば |
「大化」は最初の年号か |
14 |
林 伸禧 |
||||
100 |
20年12月 |
挨 拶 |
「東海の古代」100号発刊にあたって |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 文 |
漢委奴国王の金印について |
2 |
石田敬一 |
||||
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
10 |
3 |
加藤勝美 |
||||
2008年度日本思想史学会での古田先生の発表 |
12 |
石田敬一 |
|||||
ひろば |
飛騨の伽藍と仏教の戒律 |
14 |
竹内 強 |
||||
県外図書館からの図書貸出 |
15 |
林 伸禧 |
|||||
******************************************* | |||||||
選択 号 |
発行 | 分 類 | 101号〜150号 | 回 | 頁 | 著 者 | 資料選択 備 考 |
101 |
21年 1月 |
挨 拶 |
2009年の年明けにあたって |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 考 |
『日本書紀』の改刪について |
1 |
林 伸禧 |
||||
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
11 |
7 |
加藤勝美 |
||||
102 |
21年 2月 |
論 考 |
古代史の再検討−絶対年代の復元− |
12 |
1 |
加藤勝美 |
|
論 評 |
“一月(ひとつき)十五日説”の問題点 |
1 |
10 |
石田敬一 |
|||
103 |
21年 3月 |
挨 拶 |
−加藤勝美氏論文「古代史の再検討」掲載についての− 古田史学の会・東海」の立場と対応 |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 評 |
“一月(ひとつき)十五日説”の問題点 |
2 |
3 |
石田敬一 |
|||
感想、その1 |
4 |
田中正一 |
|||||
感想、その2 |
5 |
石田敬一 |
|||||
感想、その3 |
6 |
高野良浩 |
|||||
加藤勝美氏著「古代史の再検討」について |
7 |
林 伸禧 |
|||||
104 |
21年 4月 |
論 考 |
『日本書紀』の改刪について |
2 |
2 |
林 伸禧 |
|
論 評 |
「二倍年暦」について −加藤試論へのひとくち感想− |
6 |
岡田涼子 |
||||
論 考 |
最古暦木簡をめぐって |
6 |
加藤勝美 |
||||
ひろば |
−愛知県刈谷市の−天子神社と海士族の伝播 |
12 |
竹内 強 |
||||
105 |
21年 5月 |
論 考 |
『二中歴』の成立時期 |
1 |
林 伸禧 |
||
論 評 |
古田武彦『ソクラテス考』に 遅ればせながらのファンレター |
9 |
岡田涼子 |
||||
106 |
21年 6月 |
探訪記 |
両面宿儺のふるさとを訪ねて |
2 |
竹内 強 |
||
論 考 |
ワシトリ |
6 |
石田敬一 |
||||
崇徳上皇の怨霊は今に生きるか? |
11 |
宇田川 和好 |
|||||
107 |
21年 7月 |
挨 拶 |
会長留任に当たって −2009年度役員体制について |
1 |
竹内 強 |
||
講演録 |
古賀達也氏の講演についての報告 |
2 |
石田敬一 |
||||
論 考 |
古代逸年号資料 |
1 |
6 |
林 伸禧 |
|||
書 評 |
『なかった−真実の歴史学』 |
8 |
竹内 強 |
||||
108 |
21年 8月 |
論 考 |
「始」と「初」 |
1 |
竹口健三 |
||
「始めて」について |
2 |
石田敬一 |
|||||
飛騨と両面宿儺 |
1 |
4 |
竹内 強 |
||||
古代逸年号資料 |
2 |
7 |
林 伸禧 |
||||
ひろば |
第21回愛知サマーセミナーに参加しました |
7 |
竹内 強 |
||||
109 |
21年 9月 |
論 考 |
『聖徳太子平氏傳雑勘文』の「日本記・日本書記」について |
1 |
林 伸禧 |
||
銅鐸とは何か |
3 |
竹内 強 |
|||||
古代逸年号資料 |
3 |
6 |
林 伸禧 |
||||
ひろば |
古田先生と岐阜県河川環境研究所 |
7 |
竹内 強 |
||||
110 |
21年10月 |
論 考 |
もう一つの「裸国・黒歯国」 −石器代の遠洋航海者− |
1 |
1 |
佐藤久男 |
|
軍尼と伊尼について −例会で問題提起された疑問に挑む− |
5 |
石田敬一 |
|||||
古代逸年号資料 |
4 |
11 |
林 伸禧 |
||||
111 |
21年11月 |
論 考 |
持統紀七年十月の「始」と仁王経について −古賀達也氏の関西例会の発表について− |
1 |
石田敬一 |
||
古代逸年号資料 |
5 |
9 |
林 伸禧 |
||||
ひろば |
西太平洋の海流 |
10 |
竹口健三 |
||||
112 |
21年12月 |
論 考 |
もう一つの「裸国・黒歯国」 −石器代の遠洋航海者− |
2 |
1 |
佐藤久男 |
|
古代逸年号資料 |
6 |
8 |
林 伸禧 |
||||
ひろば |
松本清張と古田武彦 |
9 |
竹内 強 |
||||
113 |
22年 1月 |
挨 拶 |
2010年の年頭にあたって |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 考 |
安本美典著『古代九州王朝はなかつた』を読んで |
1 |
2 |
石田敬一 |
|||
古代逸年号資料 |
7 |
8 |
林 伸禧 |
別表8-1 別表8-2 |
|||
ひろば |
書評三題 |
10 |
竹内 強 |
||||
114 |
22年 2月 |
論 考 |
『記紀』に記された船眼について |
1 |
黄 當時 |
||
雑記−倭人伝に始まり 倭人伝に還る |
4 |
大西能生 |
|||||
安本美典著『古代九州王朝はなかつた』を読んで |
2 |
7 |
石田敬一 |
||||
115 |
22年 3月 |
論 考 |
安本美典著『邪馬一国はなかつた』を読んで |
1 |
1 |
石田敬一 |
|
古代逸年号資料 |
8 |
9 |
林 伸禧 |
別表9-1 別表9-2 |
|||
ひろば |
西暦年干支の算出 |
10 |
加藤勝美 |
||||
116 |
22年 4月 |
論 考 |
安本美典著『邪馬一国はなかつた』を読んで |
2 |
1 |
石田敬一 |
|
ひろば |
西暦・年干支換算の算出方法について |
9 |
林 伸禧 |
||||
117 |
22年 5月 |
論 考 |
安本美典著『邪馬一国はなかつた』を読んで |
3 |
1 |
石田敬一 |
|
118 |
22年 6月 |
論 考 |
纏向遺跡は邪馬壹国か |
1 |
竹内 強 |
||
邪馬台国東遷説批判 |
2 |
石田敬一 |
|||||
119 |
22年 7月 |
論 考 |
安本美典氏の「古代天皇平均在位年数論」批判 |
1 |
棟上寅七 |
||
古代逸年号と聖徳太子伝 |
8 |
林 伸禧 |
|||||
ひろば |
古田武彦古代史コレクション1 『「邪馬台国」はなかった』を読んで |
11 |
竹内 強 |
||||
百済年号 |
14 |
林 伸禧 |
|||||
120 |
22年 8月 |
報 告 |
第22回愛知サマーセミナーに参加して |
1 |
編集部 |
||
記紀が示す九州王朝の存在 |
4 |
石田敬一 |
|||||
伊勢湾・三河湾への海人族の伝播 (五世紀後半から六世紀) |
9 |
竹内 強 |
|||||
『群書類従』(正・続)に記載されている 『皇代記・皇代略記・皇年代略記』の古代逸年号 |
11 |
林 伸禧 |
|||||
121 |
22年 9月 |
論 考 |
「二倍年齢」について |
1 |
石田敬一 |
||
古代逸年号資料 |
9 |
7 |
林 伸禧 |
別表10-1 10-2 |
|||
ひろば |
小さな普及活動 |
10 |
石田敬一 |
||||
安本美典説の論評 |
10 |
林 伸禧 |
|||||
122 |
22年10月 |
論 考 |
二倍年暦と稲作 |
1 |
石田敬一 |
||
文帝と仏教 |
7 |
竹内 強 |
|||||
韓国内陸行説−平瀬英司説の紹介− |
8 |
林 伸禧 |
|||||
ひろば |
小さな普及活動 |
10 |
石田敬一 |
||||
筑前の地名「日向」について |
10 |
林 伸禧 |
|||||
123 |
22年11月 |
報 告 |
第7回古代史セミナー 「日本古代史 新考 自由自在 (その3)」 報告〈速報〉 |
1 |
石田敬一 |
||
論 考 |
外国史料に掲載されている古代逸年号 |
1 |
7 |
林 伸禧 |
別紙・古代逸年号年表 |
||
124 |
22年12月 |
論 考 |
戸と家 |
1 |
石田敬一 |
||
阿久比の地名と蝦(くい)神 |
4 |
竹内 強 |
|||||
外国史料に掲載されている古代逸年号 |
2 |
7 |
林 伸禧 |
別表2 別表3 別表4 別表5 |
|||
125 |
23年 1月 |
挨 拶 |
2011年 新年あけましておめでとうございます |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 考 |
法隆寺に関して |
1 |
2 |
石田敬一 |
|||
ひろば |
中国二十四史に記述されている「倭・日本」を掲載している書物 |
7 |
林 伸禧 |
別表2 別表3 別表4 別表5 |
|||
莫曳皆(ばくえいかつ)と蝦夷 |
10 |
竹内 強 |
|||||
126 |
23年 2月 |
論 考 |
「数」の論理 |
1 |
石田敬一 |
||
持統大化年号存在の微証 |
5 |
林 伸禧 |
別表1 別表2 別表3 別表4 |
||||
法隆寺に関して |
2 |
8 |
石田敬一 |
||||
127 |
23年 3月 |
論 考 |
『二倍暦の一証明』について |
1 |
1 |
石田敬一 |
|
再び“一月・十五日暦説”について |
3 |
石田敬一 |
|||||
「神武東征」における記紀の違い |
6 |
竹内 強 |
|||||
外国史料に掲載されている神代・天皇代 |
8 |
林 伸禧 |
別表2 |
||||
128 |
23年 4月 |
論 考 |
『不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀』について |
2 |
石田敬一 |
||
『日本書紀』年表 |
5 |
林 伸禧 |
別表1-2 別表2 |
||||
再び『二倍暦の一証明』について |
7 |
石田敬一 |
|||||
日本稲作の起源は |
8 |
竹内 強 |
|||||
129 |
23年 5月 |
訪問記 |
福岡県の遺跡巡り |
1 |
石田敬一 |
||
論 考 |
年号「継体」をめぐって |
3 |
洞田一典 |
||||
明治初期の教材に現れたる古代逸年号 |
6 |
林 伸禧 |
|||||
130 |
23年 6月 |
論 考 |
持統四年十一月条の奉勅の解釈 |
1 |
林 伸禧 |
||
訪問記 |
福岡県の遺跡巡り(二日目) |
8 |
石田敬一 |
||||
131 |
23年 7月 |
論 考 |
「大化改新」はなかった |
1 |
横田幸男 |
||
訪問記 |
尾張国式内社巡り−古代史上の意義− |
3 |
加藤勝美 |
||||
ひろば |
『日本書紀』暦日の誤り |
7 |
林 伸禧 |
別表2 別表3 |
|||
訪問記 |
福岡県の遺跡巡り(三日目) |
9 |
石田敬一 |
||||
132 |
23年 8月 |
報 告 |
第23回愛知サマーセミナー2011に参加して |
1 |
編集部 |
||
中学校の歴史教科書 |
4 |
林 伸禧 |
参考資料 |
||||
訪問記 |
久留米リポート |
5 |
石田敬一 |
||||
133 |
23年 9月 |
論 考 |
中学校で使用する歴史教科書の概要 |
1 |
1 |
林 伸禧 |
別紙1 別紙2 別紙3 |
たい国は倭国の誤りか |
3 |
竹内 強 |
|||||
訪問記 |
尾張国式内社巡り−古代史上の意義− |
2 |
5 |
加藤勝美 |
|||
134 |
23年10月 |
訪問記 |
久留米リポート |
2 |
1 |
石田敬一 |
|
論 考 |
年代記類に記載されている古代逸年号 |
12 |
林 伸禧 |
別表1 別表2 |
|||
135 |
23年11月 |
論 考 |
双脚輪状文 |
1 |
石田敬一 |
||
訪問記 |
美濃國巡り(美濃紙と刃物の里) |
8 |
加藤勝美 |
||||
論 考 |
古代逸年号『塵荊鈔(じんけいしよう)』について |
11 |
林 伸禧 |
||||
136 |
23年12月 |
論 考 |
法隆寺観音菩薩立像台座の銘文について |
1 |
竹内 強 |
||
高天原を巡って |
1 |
5 |
加藤勝美 |
||||
邪馬壹国への道筋 |
1 |
8 |
石田敬一 |
||||
その他 |
平成23年 掲載論文等目録 |
13 |
編集部 |
||||
137 |
24年 1月 |
挨 拶 |
2012年 新年のごあいさつ |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 考 |
“「邪馬壹国」と「投馬国」の解明”を読んで |
3 |
石田敬一 |
||||
高天原を巡って |
2 |
6 |
加藤勝美 |
||||
“「東西五月行・南北三月行」とたい国の首都”について |
10 |
石田敬一 |
|||||
138 |
24年 2月 |
論 考 |
『隋書』たい国伝の竹島について |
1 |
1 |
石田敬一 |
|
高天原を巡って |
3 |
4 |
加藤勝美 |
||||
『日本書紀』年表 |
2 |
7 |
林 伸禧 |
||||
東西五月行南北三月行について |
8 |
石田敬一 |
|||||
評制の起源について |
14 |
竹内 強 |
|||||
139 |
24年 3月 |
論 考 |
邪馬壹国への道筋 |
2 |
1 |
石田敬一 |
|
高天原を巡って |
4 |
8 |
加藤勝美 |
||||
古代の暦に関する史料 −古代史覚書帳− |
1 |
10 |
林 伸禧 |
||||
法隆寺観音菩薩立像台座の銘文〈追記〉 |
13 |
石田敬一 |
|||||
140 |
24年 4月 |
論 考 |
東西五月行南北三月行について |
2 |
1 |
石田敬一 |
|
高天原を巡って |
5 |
7 |
加藤勝美 |
||||
明治時代の「二倍年暦」論 −古代史覚書帳− |
9 |
林 伸禧 |
別紙「講演要旨」 |
||||
『隋書』たい国伝の竹島について |
2 |
10 |
石田敬一 |
||||
須恵器の源流とその発展 |
12 |
竹内 強 |
|||||
141 |
24年 5月 |
論 考 |
生口について |
1 |
石田敬一 |
||
高天原を巡って |
6 |
4 |
加藤勝美 |
||||
『日本書紀』年表 |
3 |
7 |
林 伸禧 |
『日本書紀』年表1 (神代) |
|||
142 |
24年 6月 |
論 考 |
高天原を巡って |
完 |
2 |
加藤勝美 |
|
消された正月−持統朝改暦始末記− |
4 |
洞田一典 |
|||||
「持統周正仮説」の微証−朱鳥年号− |
10 |
林 伸禧 |
|||||
143 |
24年 7月 |
論 考 |
「女王国」について −野田利郎氏の回答に応えて− |
1 |
石田敬一 |
||
『三国志』における日付けの干支表現 |
9 |
洞田一典 |
|||||
訪問記 |
平成24年度春の遺跡巡り |
11 |
加藤勝美 |
||||
144 |
24年 8月 |
報 告 |
古田武彦講演会を開催しました。 |
1 |
編集部 |
||
論 考 |
『隋書』たい国伝の竹島とたん羅國 |
5 |
石田敬一 |
||||
倭人の二倍年暦と暦 |
14 |
佐藤章司 |
|||||
ひろば |
有坂隆道著『古代史を解く鍵』の持統4年奉勅記事について |
18 |
林 伸禧 |
||||
145 |
24年 9月 |
論 考 |
天皇の生年・没年について |
1 |
1 |
石田敬一 |
|
倭健命/日本武尊考 |
9 |
佐藤章司 |
|||||
146 |
24年10月 |
論 考 |
天皇の生年・没年について |
2 |
1 |
石田敬一 |
|
『日本書紀』の中国史料収集時期考 |
8 |
佐藤章司 |
|||||
ひろば |
煬帝は、なぜ裴世清をたい国に派遣したか −古代史覚書帳− |
10 |
林 伸禧 |
||||
147 |
24年11月 |
論 考 |
持統・文武の大嘗を疑う −「持統周正仮説」による検証 |
1 |
洞田一典 |
||
最古の「戸籍」木簡 |
1 |
7 |
石田敬一 |
||||
ひろば |
講談社学術文庫『日本書紀』(上)での誤訳−古代史覚書帳− |
10 |
林 伸禧 |
||||
148 |
24年12月 |
論 考 |
倭国の貨幣制度 |
1 |
佐藤章司 |
||
「邪馬」の読み |
4 |
石田敬一 |
|||||
ひろば |
『日本書紀』記事の異説 −古代史覚書帳− |
1 |
6 |
林 伸禧 |
|||
赤塚次郎著「幻の王国・狗奴国を旅する」 を読んで |
10 |
竹内 強 |
|||||
平成24年 掲載論文等目録 |
13 |
編集部 |
|||||
149 |
25年 1月 |
挨 拶 |
2013年 あけましておめでとうございます。 |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 考 |
「身冉牟羅國」は「南海の国」か |
2 |
石田敬一 |
||||
難波長柄豊碕宮と難波の朝(みかど) |
6 |
佐藤章司 |
|||||
ひろば |
『日本書紀』記事の異説 −古代史覚書帳− |
2 |
10 |
林 伸禧 |
|||
150 |
25年 2月 |
論 考 |
対馬や済州島の珊瑚礁について |
1 |
石田敬一 |
||
『日本書紀』年表 |
3 |
2 |
林 伸禧 |
『日本書紀』年表3(仁徳紀〜武烈紀) |
|||
九州王朝の「評と冠位」考 |
8 |
佐藤章司 |
|||||
ひろば |
日本に於ける「竹島」の地名について |
10 |
石田敬一 |
||||
******************************************* | |||||||
号 | 発行 | 分 類 | 151号〜200号 | 回 | 頁 | 著 者 | 備 考 |
151 |
25年 3月 |
論 考 |
魏朝、景初・正始年の朔干支 |
1 |
林 伸禧 |
三正綜覧(抜萃) |
|
中国史書における珊瑚樹について |
7 |
石田敬一 |
|||||
『韓国道路地図』の竹島 |
10 |
石田敬一 |
|||||
製塩土器についての一考察 |
14 |
竹内 強 |
|||||
152 |
25年 4月 |
論 考 |
野中寺弥勒像が明かす古代の真実 −銘に刻まれた暦注・十二直「開」− |
洞田一典 |
|||
最古の「戸籍」木簡〜弥生時代の人口〜 |
2 |
石田敬一 |
|||||
新益京は九州王朝の終都 |
石田敬一 |
||||||
153 |
25年 5月 |
論 考 |
ハングル文字と竹島 |
2 |
石田敬一 |
||
日本神話と貝文化考 |
5 |
佐藤章司 |
|||||
ひろば |
中国の暦(三正) −古代史覚書帳− |
7 |
林 伸禧 |
別紙「年表−則天皇后」 |
|||
『古事記』真福寺本について |
10 |
石田敬一 |
|||||
『日本書紀』記事の異説(1)・追加 −古代史覚書帳− |
11 |
林 伸禧 |
|||||
154 |
25年 6月 |
論 考 |
七支刀と「こうやの宮」の人形の考察 |
1 |
1 |
石田敬一 |
|
ひろば |
中国の暦(三正)−古代史覚書帳− |
2 |
7 |
林 伸禧 |
|||
論 考 |
藤原宮と新益京 |
1 |
10 |
石田敬一 |
|||
155 |
25年 7月 |
論 考 |
「遣隋使」と『隋書』たい国伝 |
2 |
林 伸禧 |
別表A 別表B 別表C 別表D |
|
七支刀と「こうやの宮」の人形の考察 |
2 |
8 |
石田敬一 |
画像1 画像2 画像3 |
|||
小林達雄氏のエヴァンズ説批判について −縄文土器太平洋横断説批判− |
14 |
竹内 強 |
|||||
156 |
25年 8月 |
論 考 |
七支刀と「こうやの宮」の人形の考察 |
3 |
2 |
石田敬一 |
|
飛鳥浄御原宮と天皇の称号 (薬師寺は九州王朝が建立) |
8 |
佐藤章司 |
|||||
ひろば |
韓国地名(竹等)について −古代史覚書帳− |
14 |
林 伸禧 |
略図、 別表1 別表2 別表3 |
|||
157 |
25年 9月 |
論 考 |
「遣隋使」と『隋書』?国伝 |
2 |
3 |
林 伸禧 |
別表 |
七支刀と「こうやの宮」の人形の考察 |
4 |
4 |
石田敬一 |
||||
「飛鳥浄御原律令と『日本紀』編纂」考 |
9 |
佐藤章司 |
|||||
158 |
25年10月 |
論 考 |
天鳥船、天鴿船、天磐船 ―鳥を舶載する、アウトリガー・フロート付き外洋航海船― |
1 |
1 |
黄 當時 |
|
七支刀と「こうやの宮」の人形の考察 |
5 |
5 |
石田敬一 |
||||
神無月 −古代史覚書帳− |
11 |
林 伸禧 |
別表1 別表2 参考資料 |
||||
159 |
25年11月 |
論 考 |
天鳥船、天鴿船、天磐船 ―鳥を舶載する、アウトリガー・フロート付き外洋航海船― |
2 |
1 |
黄 當時 |
|
九州王朝の遣唐使 |
1 |
4 |
佐藤章司 |
||||
藤原宮と新益京 |
2 |
7 |
石田敬一 |
||||
持統四年十一月條の奉勅の解釈(追加) |
9 |
林 伸禧 |
|||||
160 |
25年12月 |
論 考 |
天鳥船、天鴿船、天磐船 ―鳥を舶載する、アウトリガー・フロー ト付き外洋航海船― |
3 |
1 |
黄 當時 |
|
七支刀と「こうやの宮」の人形の考察 |
6 |
4 |
石田敬一 |
||||
卑彌呼(ひみか)の死 |
1 |
6 |
佐藤章司 |
||||
平成25年 掲載論文等目録 |
10 |
編集部 |
|||||
161 |
26年 1月 |
挨 拶 |
2014年 年頭にあたって |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 考 |
繊維街の源流を求めて |
1 |
2 |
加藤勝美 |
|||
鉄の古代史 |
4 |
竹内 強 |
|||||
非時香菓 |
8 |
石田敬一 |
|||||
九州王朝の遣唐使 |
2 |
10 |
佐藤章司 |
||||
162 |
26年 2月 |
論 考 |
常世の長鳴鳥 |
1 |
石田敬一 |
||
中国史料による日本古代史 |
1 |
3 |
林 伸禧 |
別紙1 別紙2 別紙3 別紙4 |
|||
九州王朝の遣唐使 |
3 |
10 |
佐藤章司 |
||||
繊維街の源流を求めて |
2 |
13 |
加藤勝美 |
||||
163 |
26年 3月 |
論 考 |
登岐士玖能迦玖能木實 |
2 |
石田敬一 |
||
繊維街の源流を求めて |
3 |
10 |
加藤勝美 |
||||
164 |
26年 4月 |
論 考 |
鬯(ちよう)艸(そう) |
1 |
石田敬一 |
||
「法興」年号に関する考察 |
9 |
竹嶋正雄 |
|||||
九州王朝の遣唐使 |
4 |
13 |
佐藤章司 |
||||
「漢委奴国王」について |
17 |
林 伸禧 |
|||||
165 |
26年 5月 |
論 考 |
金印「漢委奴国王」の読みと意味について |
1 |
1 |
黄 當時 |
|
繊維街の源流を求めて |
4 |
4 |
加藤勝美 |
||||
『古事記』歌謡における万葉仮名 −古代史覚書帳− |
6 |
林 伸禧 |
別冊 |
||||
海行三月 |
8 |
石田敬一 |
|||||
166 |
26年 6月 |
論 考 |
金印「漢委奴国王」の読みと意味について |
2 |
2 |
黄 當時 |
|
繊維街の源流を求めて |
4 |
4 |
加藤勝美 |
||||
法興年号−古代史覚書帳− |
10 |
林 伸禧 |
別紙1 別紙2 |
||||
167 |
26年 7月 |
論 考 |
金印「漢委奴国王」の読みと意味について |
3 |
1 |
黄 當時 |
|
九州王朝の遣唐使 |
5 |
10 |
佐藤章司 |
||||
訪問記 |
近畿大和(奈良県ほか)探訪記 |
12 |
加藤勝美 |
||||
168 |
26年 8月 |
論 考 |
年輪年代法に思う |
1 |
石田敬一 |
||
日本人のルーツ |
2 |
竹内 強 |
|||||
繊維街の源流を求めて |
6 |
4 |
加藤勝美 |
||||
九州王朝の遣唐使 |
6 |
6 |
佐藤章司 |
||||
『日本書紀』の書名と性格 |
9 |
石田敬一 |
|||||
169 |
26年 9月 |
論 考 |
北海道における古代史の観点 (アイヌ文化に対する見方) |
1 |
竹内 強 |
||
逸年号 |
4 |
石田敬一 |
|||||
九州王朝の遣唐使 |
7 |
佐藤章司 |
|||||
「遣隋使」と『隋書』?国伝(追記) |
1 |
11 |
林 伸禧 |
||||
170 |
26年10月 |
論 考 |
九州王朝と百済国 −七支刀と珊瑚樹− |
1 |
1 |
佐藤章司 |
|
欠史八代の天皇と葛城氏 |
9 |
竹嶌正雄 |
|||||
「遣隋使」と『隋書』?国伝(追記) |
2 |
16 |
林 伸禧 |
||||
171 |
26年11月 |
論 考 |
古代逸年号「法興」に関わる疑念 |
1 |
石田敬一 |
||
遣隋使と遣唐使を探る |
5 |
竹嶌正雄 |
|||||
九州王朝と百済国 |
2 |
11 |
佐藤章司 |
||||
172 |
26年12月 |
論 考 |
難波の宮の真実 |
1 |
1 |
竹嶌正雄 |
|
「日本国」国号制定考 |
6 |
佐藤章司 |
|||||
訪問記 |
尾張西部(清洲市及び一宮市)探訪記 |
10 |
加藤勝美 |
||||
論 考 |
古代逸年号に関わる疑念 |
2 |
12 |
石田敬一 |
|||
その他 |
平成26年 掲載論文等目録 |
10 |
編集部 |
||||
173 |
27年 1月 |
挨 拶 |
2015年(平成27年)年頭にあたって |
1 |
会長 竹内 強 |
||
論 考 |
神功紀と百済王系譜−古代史覚書帳− |
2 |
林 伸禧 |
別表1 別表2 |
|||
難波の宮の真実 |
2 |
4 |
竹嶋正雄 |
||||
済州島の古代文化の謎 |
7 |
山田 裕 |
|||||
174 |
27年 2月 |
論 考 |
難波の宮の真実 |
3 |
1 |
竹嶋正雄 |
|
古代伊豫国にみる「逸年号」 |
5 |
山田 裕 |
|||||
古代逸年号に関わる疑念 |
3 |
10 |
石田敬一 |
||||
175 |
27年 3月 |
論 考 |
古代逸年号に関わる疑念 |
4 |
1 |
石田敬一 |
|
野中寺弥勒菩薩半跏思惟像の銘文考察 |
1 |
7 |
竹嶋正雄 |
||||
古代朝鮮半島における「二倍年暦」 −古代史覚書帳− |
10 |
林 伸禧 |
別表1 別表2 別表3 |
||||
176 |
27年 4月 |
論 考 |
隅田八幡神社人物画像鏡銘文の考察 |
1 |
竹嶋正雄 |
||
古代逸年号に関わる疑念 |
5 |
6 |
石田敬一 |
||||
推古紀における新羅遺使−古代史覚書帳− |
13 |
林 伸禧 |
|||||
177 |
27年 5月 |
論 考 |
国家の成立と弥生墓の発達から見る大和の遅れ |
1 |
竹嶋正雄 |
||
隅田八幡神社人物画像鏡銘文の考察 |
2 |
4 |
竹嶋正雄 |
||||
古代逸年号に関わる疑念 |
6 |
5 |
石田敬一 |
||||
『二中歴』年代歴の「兄弟、蔵和」年号 について−古代史覚書帳− |
1 |
7 |
林 伸禧 |
||||
都塚古墳 |
10 |
石田敬一 |
|||||
「白鳳・大化」九州年号概考 改題:九州年号−1(白鳳、大化) |
1 |
13 |
佐藤章司 |
||||
178 |
27年 6月 |
論 考 |
『二中歴』年代歴の「兄弟、蔵和」年号について(追加)−古代史覚書帳− |
2 |
1 |
林 伸禧 |
別表1 別表2 別表3 別表4 |
南極老人 |
6 |
石田敬一 |
|||||
雄略天皇と倭王武 |
7 |
竹嶋正雄 |
|||||
九州年号−2(大化−2、朱鳥) |
2 |
13 |
佐藤章司 |
||||
法隆寺の諸問題 |
1 |
15 |
山田 裕 |
||||
179 |
27年 7月 |
論 考 |
中皇命と有間皇子 |
1 |
佐藤章司 |
||
雄略天皇と獲加多支鹵大王 |
4 |
竹嶋正雄 |
|||||
法隆寺の諸問題 |
2 |
9 |
山田 裕 |
||||
飛鳥と難波 |
20 |
石田敬一 |
|||||
180 |
27年 8月 |
報 告 |
愛知サマーセミナー結果報告 教科書が書かない日本古代史の真実とは! |
1 |
石田敬一 |
||
論 考 |
天氏、尾張氏の時代 |
1 |
2 |
加藤勝美 |
|||
法隆寺の諸問題 |
3 |
5 |
山田 裕 |
||||
小郡宮と大郡宮と難波長柄豊碕宮 |
11 |
佐藤章司 |
|||||
倭の30ケ国の所在地を考える |
13 |
竹嶋正雄 |
|||||
『二中歴』年代歴の「兄弟、蔵和」年号について(追加2)−古代史覚書帳− |
3 |
14 |
林 伸禧 |
||||
獲加多支鹵 |
15 |
石田敬一 |
|||||
181 |
27年 9月 |
論 考 |
推古十一年の冠位十二階−古代史覚書帳− |
1 |
林 伸禧 |
別紙 |
|
冠位十二階 |
3 |
石田敬一 |
|||||
万葉集と九州王朝 |
5 |
佐藤章司 |
|||||
天氏、尾張氏の時代 |
2 |
10 |
加藤勝美 |
||||
九州年号―3(白鳳その2) ―白鳳時代を統治した天皇は誰かー |
3 |
12 |
佐藤章司 |
||||
ひろば |
古代逸年号を見つけたよ |
1 |
15 |
石田敬一 |
|||
182 |
27年10月 |
論 考 |
天氏、尾張氏の時代 |
3 |
1 |
加藤勝美 |
|
継体天皇即位までの過程 |
3 |
竹嶋正雄 |
|||||
たい國伝の秦王國について |
8 |
石田敬一 |
|||||
ひろば |
また古代逸年号を見つけたよ |
2 |
12 |
石田敬一 |
|||
183 |
27年11月 |
弔 辞 |
古田武彦先生との思い出 |
2 |
竹内 強 |
||
御霊前に捧ぐ−「古田武彦著作目録」− |
2 |
林 伸禧 |
別紙 |
||||
古田先生とのエピソード |
3 |
石田敬一 |
|||||
論 考 |
『甚目寺縁起』における古代逸年号 |
4 |
林 伸禧 |
||||
ひろば |
古田武彦著作目録 |
7 |
林 伸禧 |
||||
論 考 |
天氏、尾張氏の時代 |
3 |
8 |
加藤勝美 |
|||
継体天皇と九州王朝 |
10 |
竹嶌正雄 |
|||||
ひろば |
また古代逸年号を見つけたよ |
3 |
15 |
石田敬一 |
|||
184 |
27年12月 |
論 考 |
欽明天皇と九州王朝 |
1 |
竹嶌正雄 |
||
天氏、尾張氏の時代 |
4 |
6 |
加藤勝美 |
||||
中国史料による日本古代史−古代史覚書帳− |
8 |
林 伸禧 |
別冊 |
||||
『隋書』を徹底して読む−東夷伝百濟條− |
9 |
石田敬一 |
|||||
185 |
28年 1月 |
論 考 |
『隋書』を徹底して読む −東夷伝百済條・その2− |
1 |
石田敬一 |
||
天氏、尾張氏の時代 |
5 |
2 |
加藤勝美 |
||||
欽明天皇と九州王朝 |
2 |
5 |
竹嶋正雄 |
||||
その他 |
「東海の古代」(173号〜184号)目録 |
9 |
編集部 |
||||
報 告 |
また古代逸年号を見つけたよ |
4 |
11 |
石田敬一 |
|||
186 |
28年 2月 |
論 考 |
天氏、尾張氏の時代 |
6 |
1 |
加藤勝美 |
|
七支刀の倭王、百済王世子とは誰か |
4 |
竹嶋正雄 |
|||||
青森県十三湊における興国の大津波 −産経新聞記事− |
9 |
林 伸禧 |
資料1 別紙2 別紙3 |
||||
187 |
28年 3月 |
論 考 |
欠史八代の天皇家を継いだ蘇我氏 |
1 |
竹嶋正雄 |
||
中国史料による日本古代史(新訂版) |
4 |
林 伸禧 |
|||||
天氏、尾張氏の時代 |
7 |
5 |
加藤勝美 |
||||
「観世音寺」創建をめぐって |
8 |
山田 裕 |
|||||
『隋書』を徹底して読む −東夷伝高麗條(前半)− |
1 |
10 |
石田敬一 |
||||
188 |
28年 4月 |
論 考 |
『新唐書』に記載されている 「邪古・婆邪・多尼」の位置 |
1 |
林 伸禧 |
||
天氏、尾張氏の時代 |
8 |
4 |
加藤勝美 |
||||
「観世音寺」創建をめぐって |
2 |
7 |
山田 裕 |
||||
『隋書』を徹底して読む −東夷伝高麗條(中段)− |
2 |
14 |
石田敬一 |
||||
189 |
28年 5月 |
論 考 |
推古紀における諸問題 |
1 |
1 |
林 伸禧 |
参考資料 |
「観世音寺」創建をめぐって |
3 |
5 |
山田 裕 |
||||
天氏、尾張氏の時代 |
9 |
6 |
加藤勝美 |
||||
「年代歴」を分析する |
1 |
8 |
石田敬一 |
||||
『隋書』を徹底して読む −東夷伝高麗條(中段の2)− |
3 |
14 |
石田敬一 |
||||
190 |
28年 6月 |
論 考 |
「年代歴」を分析する |
2 |
1 |
石田敬一 |
|
天智天皇の正体 |
4 |
竹嶋正雄 |
|||||
推古紀における諸問題 |
2 |
8 |
林 伸禧 |
別表1 別表2 別表3 別表4 |
|||
『隋書』を徹底して読む −東夷伝高麗條(後半)− |
4 |
12 |
石田敬一 |
||||
ひろば |
古代逸年号を見つけたよ |
5 |
14 |
石田敬一 |
|||
191 |
28年 7月 |
論 考 |
九州王朝から分かる九州王朝の営み |
1 |
竹嶋正雄 |
||
拘奴国について |
6 |
石田敬一 |
|||||
『赤淵神社縁起』の「天長五年丙子」の解釈について |
8 |
林 伸禧 |
|||||
ひろば |
古代逸年号を見つけたよ |
6 |
14 |
石田敬一 |
|||
192 |
28年 8月 |
報 告 |
「第28回サマーセミナー2016」講座結果 教科書が教えない! 邪馬台国の真実! |
1 |
石田敬一 |
||
論 考 |
拘奴国について |
2 |
5 |
石田敬一 |
|||
古代逸年号 |
1 |
8 |
林 伸禧 |
別表1 別紙1・2 別冊「古代逸年号」 |
|||
ひろば |
古代逸年号を見つけたよ |
7 |
9 |
石田敬一 |
|||
193 |
28年 9月 |
論 考 |
拘奴国について |
3 |
1 |
石田敬一 |
|
天武天皇の不思議 |
7 |
竹嶋正雄 |
|||||
前田尊経閣善本影印集成『二中歴』年代歴の欠字について |
12 |
林 伸禧 |
別紙1 参考資料 |
||||
ひろば |
朱儒国について |
17 |
林 伸禧 |
||||
194 |
28年10月 |
論 考 |
神武天皇の熊野からの侵入譚の検証 |
1 |
佐藤章司 |
||
幻の小人・・・コロポックル |
6 |
今井俊圀 |
|||||
侏儒国について |
9 |
石田敬一 |
|||||
『日本書紀』年表4 |
12 |
林 伸禧 |
別冊『日本書紀』年表4 |
||||
拘奴国について |
4 |
13 |
石田敬一 |
||||
195 |
28年11月 |
論 考 |
天孫降臨説話と倭健命の死 |
1 |
佐藤章司 |
||
美濃国半布里の里の秦人 |
4 |
畑田寿一 |
|||||
「兄弟年号」にかかる『健軍大明神縁起』について |
6 |
林 伸禧 |
|||||
「年代歴」の法清の細註 |
11 |
石田敬一 |
|||||
196 |
28年12月 |
論 考 |
九州古代史探訪旅行 |
1 |
1 |
山田 裕 |
|
前田家『二中歴』の経緯と年代歴「欠字」について |
3 |
竹嶋正雄 |
|||||
激動時代に活躍した外交官吉士一族を追う |
6 |
畑田寿一 |
|||||
建元・改元 |
1 |
10 |
林 伸禧 |
||||
その他 |
「東海の古代」(185号〜196号)目録 |
9 |
編集部 |
別表 |
|||
ひろば |
私が投げかける3つの問題 |
13 |
石田敬一 |
||||
197 |
29年 1月 |
論 考 |
年頭のあいさつ |
1 |
会長 竹内 強 |
||
「東てい人」を考える |
2 |
竹嶋正雄 |
|||||
九州古代史探訪旅行 |
2 |
7 |
山田 裕 |
||||
倭人の二倍年暦と暦 |
10 |
佐藤章司 |
|||||
ひろば |
私が投げかける問題 |
2 |
11 |
石田敬一 |
|||
198 |
29年 2月 |
論 考 |
九州古代史探訪旅行 |
3 |
1 |
山田 裕 |
|
韓国内陸行と持衰(じさい)と生口 |
2 |
佐藤章司 |
|||||
ハツクニシラス天皇(スメラミコト)の考察 |
5 |
竹嶋正雄 |
|||||
知多半島の塩からみる律令時代の租税制度の実態と考察 |
9 |
畑田寿一 |
|||||
ひろば |
私が投げかける問題 |
3 |
11 |
石田敬一 |
|||
199 |
29年 3月 |
論 考 |
『房総叢書』から見えるもの |
1 |
林 伸禧 |
別紙1〜3 |
|
美濃国からみた壬申の乱 |
2 |
畑田寿一 |
|||||
神武天皇と崇神天皇は同一人物 |
5 |
竹嶋正雄 |
|||||
九州古代史探訪旅行 |
4 |
10 |
山田 裕 |
||||
常世国と高天原と天国(あまこく) |
1 |
12 |
佐藤章司 |
||||
ひろば |
生口について一言 |
15 |
石田敬一 |
||||
200 |
29年 4月 |
論 考 |
古代逸年号掲載文献一覧 |
1 |
林 伸禧 |
別表1・2 |
|
常世国と高天原と天国(あまこく) |
2 |
9 |
佐藤章司 |
||||
九州古代史探訪旅行 |
5 |
12 |
山田 裕 |
||||
日本への暦の伝来を探る |
13 |
畑田寿一 |
|||||
ひろば |
年紀について一言 |
15 |
石田敬一 |